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(133) 小泉 吉永

文化遺産を後世に伝えるために1万点をデジタル化へ

「往来物」に出会って28年。以後、全国の古書店やネット・オークション等を通じて、「往来物」等の和本を集めてきた小泉吉永さん。これまで購入した和本は1万点以上で、往来物など庶民史料の研究をライフワークとする。この10数年間はホームページ「往来物倶楽部」のユーザーの要望に応じて1,000冊以上の和本のデジタル化を行ってきた。今年4月からは、江戸・明治期の和本を次々とデジタル化する「往来物倶楽部デジタルアーカイブス」を本格稼働させた。「デジタル化の目標は1万点」と語る小泉さん。従来のユーザーの意見を踏まえて望ましいデジタル化の在り方を見極め、スキャン作業やデータベース構築に余念のない日々だ。貴重な文化遺産を次世代に伝えていく使命感に燃えた小泉さんに、往来物や和本のデジタル化についてお話を伺った。

小泉 吉永 KOIZUMI YOSHINAGA

PROFILE

1959年東京生まれ。1982年早稲田大学卒業後、小・中・高の教員を経て学術出版社に勤務。その傍ら江戸時代の教育等の研究を続け、金沢大学より博士号を取得。法政大学や古文書講座の講師として幅広い年代層に講演活動を行う往来物研究家の第一人者。2014年4月から「往来物倶楽部デジタルアーカイブス」を開設し、江戸庶民の教育・文化・生活に関するさまざまな書物のデジタル画像の販売を開始。 小泉さんの著書。この他にも数冊出版を 著書に「江戸の子育て読本」( 小学館) 、「江戸に学ぶ人育て人づくり」(角川SSC新書) 、「江戸の子育て十カ条−善悪は四歳から教えなさい」(柏書房)など多数。

事の発端は28年前、1冊の往来物との出会いから

——往来物との出会いについて教えてください。

小泉28年前になりますが、社会科の教諭を志していた時期に、授業で使える史料はないかと、神保町や本郷界隈の古書店を頻繁に訪れ、探し回っていました。そんなある日、ある古書店で、江戸時代の寺子屋などでよく使われた「庭訓往来(ていきんおうらい)」という代表的な読み書き教材に目が留まったのです。実物を初めて手にして、その筆遣いの美しさに驚き、その内容も知りたくなり、すぐに購入しました。それが往来物との出会いでした。それで、色々と調べていくうちに、往来物というのは単に教科書的な内容に留まらず、人々の暮らしや仕事について書かれたもの、あるいは雑学としての読み物など、さまざまな種類があることを知り、その面白さに惹かれていったわけです。

——そもそも往来物とはどういうものなのでしょうか?

所狭しとガラス扉付き書棚が立ち並ぶ書庫

所狭しとガラス扉付き書棚が立ち並ぶ書庫

小泉往来物は、手紙のやりとりの意味で、昔は手紙文で読み書きを学んでいたのですが、江戸時代になると手紙文に限らず、庶民が寺子屋(手習所)で学ぶ教科書類を「往来物」と呼ぶようになりました。庶民も読み書きなしでは生きていけない時代となり、全国各地に寺子屋が誕生し、使用する教科書も多種多様のものが作られました。手習師匠直筆の手本で学ぶことが多かったのですが、木版印刷の発達により往来物も多数出版されて普及しました。私は往来物の蒐集から始め、その周辺史料として、当時の庶民が読んでいた教訓書や育児書なども買い集めていきました。現在は、これらに限らず多ジャンルの和本を蒐集しています。これまで購入した和本は1万冊以上ですが、現在は、今後の研究に必要なものだけを手元に残し、そのほかはデジタル化した後に売却し、その収益の一部を新たな和本購入に充てています。

——始められた「往来物倶楽部デジタルアーカイブス」の目的は何でしょうか?

小泉10年以上前から個別の要望に応じて所蔵の和本をデジタル化し、希望する解像度で、1コマ100円で提供していたのですが、このうち1冊丸々デジタル化したものを低価格で販売したのが「デジタル版往来物シリーズ」でした。新規複写は1コマ100円で1コマから受注してきましたが、同シリーズとして販売した既存のデジタルデータは1コマ単位ではなく100MBにつき1,000円というように画像の容量に応じた価格体系でした。コマ数に換算すれば、平均で1コマ50円以下だったと思います。

今回始めた「往来物倶楽部デジタルアーカイブス」では、従来のユーザーの意見を参考に、あらゆる用途にほぼ対応できる300dpiのカラー画像を標準仕様とし、できるだけ低価格で、幅広いジャンルの和本を提供することを目的とし、本格的にネット販売を行うことにしました。往来物だけでなく江戸時代の多種多様な文献を全国の多くの方々に知っていただき、研究者に限らず、どなたでも気軽に利用できるようにしたかったのです。と同時に、これらの貴重な文化遺産を死蔵させずに、次世代に継承していきたいという思いもあります。

300dpiの高画質カラー画像を1コマ20円以下の低価格で販売

——ご自身でWebサイトを制作されたのですか?

小泉はい。全て私一人で作りました。勤めていた出版社が倒産した後、インターネットやホームページの知識を身につけようと思い、半年ほど独学でホームページの作り方を勉強しました。それで最初に作ったのが「往来物倶楽部」だったわけです。当時はWindows97の時代で、インターネットがこれから普及し始めようとしていた頃ですが、ホームページ作成ソフトを使って、見様見真似で作ったのを覚えています。

1冊をバラして見開きにしたものを1コマとして販売

1冊をバラして見開きにしたものを1コマとして販売

今回の「往来物倶楽部デジタルアーカイブ」では、できるだけ大勢の人に使っていただけるように、1コマ20円(1,000コマ以上は1コマ10円)という民間企業ではほぼ不可能な低価格を実現しました。そのために、収録したCD-RやDVD-Rには何の装飾も施しませんし、ホームページ以外の宣伝も基本的に行わないなど、低コストを心掛けています。ただ、デジタル化以前のスキャンの注文は、従来通り1コマ(見開き2頁)100円で提供しています。通常は郵送ですが、数コマ程度で急ぎの場合には、メールやネットを通じて画像データを納品する場合もあります。いずれにしても、既にデジタル化済みの文献一覧(現在800点以上)のほかに、私の蔵書リストもネットで公開しています。1年間で約1,000点のデジタル、10年で1万点以上を目標にしています。

——反響はいかがでしょうか?

小泉お陰様で賞賛の声をいただいており、「自分専用の古典籍資料室を手に入れたようなもの」と高く評価して下さる方もいます。また、ネットでも無料で閲覧できるサイトは数多くありますが、低解像度であったり、裏写りして読みにくかったり、ダウンロードの手間や特定のソフトのインストールが必要であったりと、使い勝手が悪い場合も少なくありません。その点、往来物倶楽部デジタルアーカイブスは、有償ですが低料金で購入でき、PDFファイルで閲覧できるほか、JPEG画像も収録するため、自分で色々と加工して資料に掲載するなど様々な利用が可能です。ユーザーには大いにメリットを感じていただけると思います。また、高齢者の方からは「何倍にも拡大できるので読みやすい」という声もいただいています。

——ヤフーオークション(ヤフオク)にも出品されているそうですが…。

小泉はい。公開2カ月前からヤフオクに半額程度の価格で出品してきました。お陰様で好評なようで落札も徐々に増え、ネットビジネスの柱に成り得るという手応えを感じています。江戸時代の和本は50コマ以下のものが多いので、多くが1冊700円とか1,000円程度で読めます。ヤフオクでは500円から開始していますので、ほとんどがコピーよりも安く利用できます。ヤフオクには私以外にもデジタルデータを販売する業者がありますが、「往来物倶楽部デジタルアーカイブスの方が断然安く利用しやすい」とユーザーからも好評をいただいています。

規模が大きくなればなるほど価値が増すデジタルアーカイブス

——1冊が1,000円程度ですと、普通の書籍より安いですよね。

小泉そうですね。和本の中でも往来物はそれほど高くなく、一般的なものなら数千円で購入できますが、往来物倶楽部デジタルアーカイブスなら1,000円程度、ヤフオクなら500円程度とかなりお得です。極めて珍しく1冊で数万、数十万円もするような和本も多くは1,000円以下で読めます。この価格は他社では実現できないと思います。そのほか、PDFには、収録した和本の書誌、つまり文献の体裁、作者、年代、概要などのデータを必ず付けています。これは私自身の研究メモに近いものですが、ユーザーの立場に立ったデータ提供を心掛けている点もセールスポイントですね。

——アーカイブスにされる最大のメリットは何でしょうか?

小泉とにかく、本を少し調べたい時でも、書庫に行ってわざわざ探さなければならず、数千冊にもなるとその手間も馬鹿になりません。それがデータベース化されていれば、書名やジャンルなどで検索し、すぐに画像で確認できます。私自身、ネットやヤフオクで購入したい和本を見つけた時に、PC内のデジタルアーカイブス内の画像データを見て状態や異同箇所などを即座に比較検討できるので、非常に短時間で判断できます。私にとっての最大のメリットは、蒐集・研究・執筆の時間的なロスを減らすことができる点です。デジタルアーカイブスの規模が大きくなればなるほど、このメリットが際立ってきます。

——今後のビジョンは?

小泉現在はヤフオクに出品し、そこから「往来物倶楽部デジタルアーカイブス」にアクセスしていただき、さらに興味を持ってもらえるユーザーを増やしていきたいです。そのためにも多種多様の和本を次々とデジタル化して、見たい資料が何でも揃う魅力あるアーカイブスに育て、往来物倶楽部のメインビジネスにしていくつもりです。そして、多くの方に利用してもらって、江戸時代の庶民文化や出版文化の奥行きや、日本人としての誇りを感じていただけたら本望ですね。また、往来物を始めとする文化遺産を縦横に研究していただく人が増えて、後世に伝える一翼を担っていただけたら、さらに嬉しいです。残された人生をかけるだけのやり甲斐のある仕事だと思っています。印刷業界の皆様も、お客様の印刷物を作られる際に江戸時代の文献や挿絵の画像が必要になった時は、ぜひご相談下さい。

江戸時代の庶民文化や出版文化の奥行きや、
日本人としての誇りを感じていただけたら本望ですね。

———— 小泉 吉永

往来物倶楽部デジタルアーカイブスのホームページ
http://www.bekkoame.ne.jp/ha/a_r/Ouraimono Club Digital Archives_index.htm

掲載号(2014年5月号)を見る