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(155) 江前 敏晴

紙の新しい活用を研究しイノベーションを起こす

紙は、これまで情報を伝達する媒体の材料として使われてきたが、近年、電子媒体の普及で紙の生産に陰りが見えてきた。もちろん、紙がなくなることはないが、新聞や雑誌は、今後ますますスマートフォンやタブレット等のモバイル端末で読まれるようになるだろうし、書籍も電子書籍のシェアが拡大していくことは否めない。そのような状況下、筑波大学生命環境系生物材料工学分野環境材料科学研究室の江前敏晴教授は、紙の新たな利活用を求めて日々研究開発をしている。江前教授は、大学では紙とエレクトロニクスを融合させた研究開発に注力する一方で、産・学・クリエイターで設立した、紙を使った新しいエレクトロニクス分野の創造を目指す「紙のエレクトロニクス応用研究会」の発起人代表も務めている。そんな江前教授に現在研究している内容や紙への考え方などについて話を聞いた。

江前 敏晴 ENOMAE TOSHIHARU

PROFILE

1960年福井県生まれ。1984年 東京大学農学部林産学科卒業。1986年同農学系研究科林産学専攻修士課程修了。1993年 博士(農学)取得。1993年から95年博士研究員として米国メイン大学化学工学科。2004年東京大学農学生命科学研究科生物材料科学専攻製紙科学研究室助教授。2007年同准教授。2013年筑波大学生命環境系教授。紙塗工と印刷品質、紙の物理学、画像処理を利用した紙の物性解析等を研究。2014年「紙のエレクトロニクス応用研究会」を設立し、代表幹事となる。2016年から日本印刷学会会長。

紙の吸水性や加工性を活かした銅イオンセンサーの試験紙を開発

——紙にエレクトロニクス技術を融合させる取り組みを始めたのは……。

江前以前、プリンテッドエレクトロニクス研究のリーダー的な存在である東京大学の染谷隆夫教授から、紙で何か新しいことはできませんか。という相談を受けて、一緒に考えた時期があったのですが、それが1つの契機となって、紙とエレクトロニクス技術を融合させる研究を本格的に始めました。印刷技術を使うものの、印刷物ではないアプリケーションを考えていくことにしたのですが、その1つが2014年に設立した産・学・クリエイターの方を集めた「紙のエレクトロニクス応用研究会」になります。

——その「紙のエレクトロニクス応用研究会」の発起人代表になってらっしゃいますが、研究会の目的は何でしょうか?

江前これまで紙は、印刷物という情報を伝達する手段として使われてきたわけですが、その紙の吸水性や加工性を活かして、単なる文字の情報伝達として利用するのではなく、新しい用途として使っていくことを目指して、産・学とクリエイターと共に研究開発を行い、ゆくゆくは商品を創出し、実用化を目指すために発足した研究会です。皆様のご協力をいただき会員数も着実に増えています。

——そうですか。現在、大学で研究されていることは何でしょうか?

江前1つは、水溶液の水素イオン濃度指数であるpHを測るのに用いるpH試験紙がありますが、それを高機能化させたものと言いましょうか、低濃度の金属イオン濃度が図れる銅イオンセンサーの試験紙を開発しています。この目的は飲料水や農業・工業用水に含まれる微量の銅を検出し、有害か無害かを検査することです。現在、2ppm(WHOが定める飲料水上限値)の希薄なCu2+ (銅イオン)を、他のイオンが混在していても選択し即座に検出できるのが特長です。原理は、キノン誘導体色素を浸み込ませたろ紙を、銅イオンが含まれた水溶液に浸けると、紫がかった色に変色することで検出できるというものです。これは試験紙の色で判断できるのですが、また、試験紙に紫外線を当てた場合に生じる蛍光反応を使えば精度が上がり、何ppmかという数値での判断が可能になります。

——なるほど。水の有害・無害を見極める事は非常に重要な事ですから、用途は広がりそうですね。

江前ええ。飲料水はもちろん、環境汚染を調べる時であるとか、農業・工業用水の水質検査であるとか、さまざまな水の分析に役立てていこうというもので、重要で大切な研究分野だと思っています。

紙の振動を電気に変える発電機やバクテリア培養システム等も

——その他でエレクトロニクス技術との融合に関する研究では……。

江前現在進めているものでは、紙の振動を電気に変える発電機の研究開発を行っています。静電気を常時帯電しているエレクトレット(テフロンなど)と電極間の距離を変化させて、電力を発生させるものです。しかし、振動自体がエネルギーですから、エネルギーを与えて発電するのは当たり前で意味がありませんから、エネルギーを与える振動を、音声や周囲の雑音を使って発電するようにしたいわけです。つまり、振動する紙の上の電極を音波でエレクトレットに近づけたり、離したりすることで発電する装置になります。 

——無尽蔵にある音をエネルギーにするわけですね。

江前そうです。例えば、ポスターにこれを貼っておけば、話しかけることで微妙に振動し発電するようになります。振動しやすい特性をもつ紙に、テフロンを貼り付けて用いるわけです。溶剤に融けるようなフッ素樹脂もありますから、それを紙の上に塗布して印刷することができます。また、フッ素樹脂が混じった機能性インキを使って印刷することも可能です。

——印刷物から電気を得ることができるというわけですね。

江前今日、「Internet of Things」(IoT)ということで、全てのモノがインターネットで繋がると言われています。そうなれば、モノの管理・制御をリモートでコントロールすることができますし、そのようなニーズが今後ますます増えていきます。モノをコントロールするためには、そのモノがどのような状態にあるのかが解っていないといけないので、それを測定するものすごい数のセンサーが必要になり、至る所にセンサーが取り付けられるようになるでしょう。そのセンサーがモノを感じ取って無線でデータを送信するためには電気が必要になります。その際に電池は交換しなければなりませんし、太陽光発電であれば太陽の光が必要になり、それぞれ電源を得るには制約される条件があります。ですから、適材適所という意味で、音声はじめ車や電車などの乗り物等の振動がある状況では、このような振動発電や音発電を使った発電が有効だと考えられるわけです。

——そうなりますと、ゴムとかプラスチックの代わりとして、紙の特性を活かした商品開発が鍵となりそうですね。

江前ええ。紙は電気を通さないところがメリットですから、その特性を活かした開発になります。ただ吸湿性があり、他の素材よりかは僅かに電気が流れます。それでも身近な素材で低コスト、しかも加工しやすいというメリットがありますから、紙とエレクトロニクスを融合させた研究開発を進めているわけです。

——インクジェットプリンターを使ってプリント基板を印刷することが可能になり、紙の基板は使い道が広がりそうですが・・・…。

江前私たちも紙基板とインクジェットプリンターを使ったバクテリア培養システムを開発しました。これは手作業で多くのシャーレで培養観察する試験ではなく、インクジェット印刷を使って全て行うもので、24時間以内にバクテリア成長量を評価できるバイオアッセイシステムです。

アジアに技術を輸出し儲けるための「架け橋」となる役割を担いたい

——生化学分野でも開発が進んでいるのですね。今後紙が重要になってくる分野は何だと思われますか?

江前紙メディアが生き残る1つは教育分野だと思います。本を読む人が紙に拘るのは、手触り感や温もりなど感性的な要素もありますが、同時に教育的な効果もあるのではないかと考えています。特に子供の場合は、静電容量変化を感知するタッチパネル方式のタブレット端末は表面が硬いので、漢字を覚えるのにペンタッチで画面をなぞっても滑りすぎて書いたという感覚がなく、なかなか覚えるのは難しいものです。筆記用具を使って紙に筆圧を感じながら文字を書く行為は、教育的観点から言って大切なことです。

そこで、紙に匹敵する効果が得られて、紙により近い素材のディスプレイを開発することができれば、耐久性も出てきますし、教育的効果も高まると思うのです。それに人が文字を認識する場合は、液晶パネルよりも紙に文字を書いたものを読んだ方が、記憶に残りやすいのではないかと考えられます。

——紙の良さを取り込んだ紙に近い電子媒体の開発ということでしょうか?

江前そういうことですが、私たちは研究開発が仕事になりますから、具体的な商品となりますと、メーカーなどの企業の方のノウハウやアイデアで商品開発していただくことになります。この電子媒体の研究については、液晶パネルが良いとか、紙が良いという問題ではなく、教育効果を高めるコラボレーション技術を開発していくことがポイントになります。

——『紙のエレクトロニクス応用研究会』も順調に拡充されてらっしゃるようですが、今後はどのような活動を目指していかれますか?

江前昨年は厚紙で作った「デコトラ」を光らせて、テーブルの上で動かす機構を製作してくれる企業や、銀ナノインクを提供してくれる企業、さらにはデザイナーがコラボレーションし、展示会で発表することができましたが、今後は単に見せるだけでなく、具体的に役に立つ商品を開発していければと考えています。課題は吸水性や加工性という紙のメリットを活かしたアプリケーションをいかに開発し、商品化していくかという点です。単に安い材料だから紙を使うという、紙に置き換えるという発想では意義はありません。

いま国際関係を強化するために中国、韓国、台湾、インドネシア、フィリピンなどのアジアの国々と印刷技術に関するシンポジウムを開催しています。それらの国では日本の技術を輸入し、自国の資源を使って商品化する動きが出ています。日本としてはいかに技術を輸出していくかが重点になりますが、技術を盗まれずに日本の技術を売ることができればビジネスになるのですが、実際はそのようなビジネスを進めるのはなかなか難しい状況です。日本印刷学会が、印刷機材メーカー、印刷会社などと一緒になって、日本が築き上げた印刷や紙に関する技術供与を、アジア諸国を市場として展開して行く際に、架け橋となるような活動をしていければと考えています。

振動する紙上の電極をエレクトレットに近づけたり離したりして発電させる装置

振動する紙上の電極をエレクトレットに近づけたり離したりして発電させる装置

江前教授のホームページ
http://www.enomae.com/

紙のメリットを生かしたアプリケーションの開発と商品化を

———— 江前 敏晴

掲載号(2016年3月号)を見る