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(148) 中村 好明

インバウンドビジネスは「旅人目線」で進める

産業として大きな成長が見込まれているインバウンドビジネス。印刷業界としてもさまざまな媒体制作で関わっていきたい分野である。しかし、インバウンドビジネスと関わり、事業の柱にするためにはノウハウが不可欠であり、一朝一夕で成し遂げられるものではない。マーケティングの下で地域全体を巻き込んだプロモーションを行い、コーディネーターとなる事業体が不可欠である。株式会社ジャパン インバウンド ソリューションズは、株式会社ドンキホーテホールディングスの関連会社であるが、インバウンドを専門とするコンサルティング会社で、これまで多くの実績を上げてきた。同社を牽引する代表取締役社長の中村好明さんは「日本のインバウンドビジネスはようやく端緒についたばかりで、これからが本番である」という。インバウンドビジネスを成功に導くための方法について話を伺った。

中村 好明 NAKAMURA YOSHIAKI

PROFILE

1963年佐賀県生まれ。上智大学卒。2000年ドン・キホーテ入社。広報、IR、マーケティング、CRM、新規事業担当を経て、2007年11月社長室ゼネラルマネージャー。2008年7月よりインバウンドプロジェクトリーダー。2013年7月、社内の訪日観光戦略部門を独立させた株式会社ジャパン インバウンド ソリューションを設立し、代表取締役に就任。ハリウッド大学院大学客員教授。著書に『インバウンド戦略~人口急減には観光立国で立ち向かえ!』(時事通信社刊)など。

7年前からインバウンドをドン・キホーテ内でスタート

——インバウンド事業はいつから始められたのでしょうか?

中村2年前に当社は設立されたのですが、現在のインバウンドのビジネスモデルとなる原型は、既にドン・キホーテで7年前から行っています。当社はそのビジネスを専業化し、本格化したのです。インバウンドでは地域の自治体や企業、店舗、人々と連携していくことが、プロジェクトを成功させる上で大切になってきます。そこでドン・キホーテでは事業部という枠組みでは対応できないし、また、ドン・キホーテの社内事業と見られるのは本意ではないということもあって、インバウンドに特化しようと、社名に「ドン・キホーテ」という冠を付けない株式会社ジャパンインバウンドソリューションという名称でスタートしたのです。

——なるほど。会社の事業という枠にとらわれずにインバウンドを進めてこられたのですね。

中村ええ。地域や同業他社と連携して展開していかなければ、インバウンドは成功しません。連携することによって相乗効果が生まれ、各店舗の良さが引き出せるからです。新宿での外国人向けキャンペーンは、その最たる例として挙げられます。その甲斐もあって全国からインバウンドの仕事が舞い込んでくるようになりました。

——その2014年1月から始められた新宿での外国人向けキャンペーンは、ターニングポイントだったのでしょうか?

中村実は、新宿のキャンペーンは現在も続いています。当社として今も最重要な仕事です。外国人向けに新宿の街をアピールする目的で始めたのですが、元々は三越伊勢丹ホールディングスさんからインバウンドを積極的に進めていきたいという声をいただき、驚くほど短期間のうちに理念の共有ができて実践することができました。新宿に店舗を構える7社が集まって、さまざまな販売促進の施策を実施していきました。成功した最大の理由は、本来ライバル同士の店舗が手を取り合って、新宿を国際観光の街として確立するために協働で活動したからだと思います。その時に私は新宿インバウンド実行委員会の会長となって、縁の下の力持ちの立場で活動させていただきました。企業同士を結び付けるコーディネーターという役割を担ったわけです。

このキャンペーンでは、新宿エリアのクーポン付きの多言語マップを計8万部制作し、海外の当社の提携先の旅行代理店などに送付し、また、新宿地区の20カ所以上のホテルにデリバリーしました。しかし、あっという間にマップが無くなったので、さらに12万部を刷って、昨年は1年間で24万部を発行しました。そして、今期は30万部を印刷し配布する予定です。

——それだけ訪日客が来ているということでしょうか?

中村はい。来ているだけでなく、注目を集めるようになってきました。メディアも発信しますし、当社としてもPRしていますから、相乗効果で拡大しているわけです。プロジェクトを成功させるにはプロモーションとマーケティングの両方が必要になります。まずマーケティングがあって、その後にプロモーションしていきます。マーケティングがないところにプロモーションはありえません。新宿は多くのメディアに取り上げていただいたので有名になりましたが、それまで全国各地でインバウンド事業をやってきました。札幌、盛岡、大阪、都内なら蒲田など……。いろいろな地域で展開してきました。これまで地域においてインバウンドができなかった背景には、地域に競合他社とは連携していく文化がなかったからです。国内でインバウンドを進めていくには、ライバル店同士が連携して志を一つにしないと成功しません。実はライバル同士の企業や店舗をいかに意識改革して結びつけていくかがポイントで、そこがエネルギーを要するところで、最も大変なところでもあるわけです。それができないと地域あげてのインバウントは実現できません。

日本のインバウンドは世界市場の伸展による自然増に過ぎない

——なるほど。地域全体を巻き込んでコラボレーションしていくわけですね。

中村しかし、大事なことは「おらの町に来てくれ。おらの店に来てくれ」という供給者の目線であってはいけません。今のインバウンドメディアというのはほとんど供給者の目線で作られていますが、大切なのは「旅人目線」なのです。現在大半の事業者が行っているインバウンドビジネスは、日本人の目線で編集し、提供していますが、訪日する外国人の目線でインバウンドメディアを作っていかなければなりません。

日本のインバウンドは急速に伸びていますが、これは世界の観光市場が、ものすごい勢いで伸びているから日本も伸びているだけです。円高やビザの障壁が取れて、本来日本に来ることができる外国人がようやく来られるようになっただけで、それは自然増に過ぎないのです。つまり、世界の中でようやく日本が開国した感じなのです。今後は戦略的な集客ができる時代になってくると思いますが、確実にしっかりと行わないと、この後の成長は約束されていません。

——印刷業界としてはインバウンドビジネスをどのように取り組んでいけば良いでしょうか。

中村1つは、日本人の日本人による日本人のためのメディアであってはならないということです。「旅人目線」に立った編集でメディアを作ることが大切になります。今日のインバウンドメディアは、日本人観光客向けの翻訳物しかないのが実態です。訪日客の関心事と日本人の関心事は違っています。新たに訪日観光客用に取材・編集して制作していかなければなりません。例えば、日本に来ている留学生の皆さんへのアンケートや町を自由に歩き回ってもらう、いわゆる「ファムトリップ」をしてもらうわけです。在日外国人や留学生の皆さんに協力を求めて「旅人目線」で、地域のコンテンツを見直すことが大事です。そして、マーケットごとにコンテンツを変えていくのが理想です。

——「旅人目線」で制作していくということですか。

中村2つ目は多言語対応が重要になってきます。まず直訳は駄目です。例えば、「清水寺」であれば、単に「KIYOMIZUDERA」ではなく、「KIYOMIZUDERA TEMPLE」でなければなりません。翻訳が必要なのは、まず英語、中国語、韓国語、タイ語ですね。中国語に関しては簡体字と繁体字(繁体字はさらに台湾と香港に分かれる)がありますから、これら5言語を翻訳できれば、インバウンドの約9割をカバーすることが可能です。その他フランス語やイタリア語、スペイン語などの言語も必要になってくるでしょうが、まずはこの5言語を翻訳していくことが先決になります。そして、外国語はその外国のネイティブの方に翻訳してもらって、最終的にその言語が解る日本人がチェックする、ダブルチェックが望ましいです。

2020年8月が本格的なインバウンドのスタートになる

次に自地域だけのコンテンツだけでなく、交通アクセスを含んだ広域のコンテンツを制作することが必要です。目的の地域に行くまでの交通経路に気を配ることがポイントです。つまり旅人目線に立つということです。今日ではFIT(Foreign Independent TourあるいはFree Individual Traveler=個人海外旅行)が増えていて、自分たちだけで目的地にたどり着こうとするケースが目立ってきています。ですから、FITに向けての広域交通アクセスを示した媒体が必要になるわけです。これまで印刷物はBtoB対応で作られていましたが、FIT向けの印刷物に変わっていかなければなりません。

4番目に挙げられるのが、紙媒体だけでなく、デジタル媒体によるマルチメディア化が不可欠だということです。今はSNSの時代だから、もう紙媒体はいらないという声がありますが、それは間違いです。紙媒体は必要です。海外に行っていちいちスマートフォンで調べたりしません。母国語で書かれた現地のマップがあればそちらのほうを見ますよね。ただ一方で詳しい情報についてはネットに書かれているものを見ますから、マルチメディア化は重要になってくるわけです。

5番目は発地型と着地型の両方でのリーチを考える必要があるということです。発地とは旅行者が出発する国・地域のことで、着地とは到着地のことで、日本の各地域のことを指します。この両方にリーチし、訪日してもらえばこんなことがある。という働きかけをしていかなければ、観光客数は伸びていきません。そのために、現地の旅行会社と提携し現地の言語の紙媒体やWebサイトで情報を発信していくことが大事であり、それを実現してくれる当社のようなコンサルティング会社とコラボレーションすることがポイントになるでしょう。

——貴社のビジョンをお聞かせください。

中村2020年の8月開幕するオリンピックを、本格的なインバウンドビジネスの出発点にすることを描いています。いまはまだ助走期間です。皆さんはオリンピックをゴールと捉えがちですが、結婚と同じでゴールはスタートですからね。いまスタートラインに立っていたら全て出来上がっていなければなりませんが、実態はまだまだです。先ほど申し上げた5つのポイントを全て兼ね備えて展開している企業や地域はまだわずかです。これからは本格化するインバウンドに備えて東京や大阪など、特定のエリアでしかインバウンドビジネスが始まっていないので、全国津々浦々でインバウンドを展開していく計画を立てています。それを当社では「JIS47」と銘打ち、「47都道府県をインバウンドで元気にする」というコンセプトで取り組んでいます。まずは全国10都市の札幌、仙台、東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、福岡をインバウンド中枢都市と位置づけ事業を展開していきます。また、現在は北京と上海とソウルにJISの事務所を持っていますが、2020年8月までに世界各国に20カ所の事務所を設けていく計画です。

中国の旅行博でのドン・キホーテのブース。インバウンドのPRに一役買っている

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JISが「旅人目線」に立って新宿を多言語で紹介した冊子

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国内でインバウンドを進めていくには、ライバル店同士が連携して志を一つにすること。それらをいかに意識改革して結びつけるかです。

———— 中村 好明

掲載号(2015年8月号)を見る