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(213) 田中 肇

創業者の思いを受け継ぎ、経営ビジョンをつくること

印刷産業は、1980年代後半から2000年代にかけて技術革新が進み、大きく成長した。印刷の前工程ではMacやWindowsによるDTPが普及し、デジタル化が始まったのもこの時期である。そんな時代に先進的な経営を目指す若い経営者を支援したのが田中肇さんである。印刷業界の経営コンサルタントとして全国各地の印刷会社を訪れ、経営ビジョンの作成をサポートしてきた。全日本印刷工業組合連合会では10年間特別顧問に就いて、全国の工組を回って業態変革の必要性を説いてきた。印刷機械貿易の社長 宮城荘三郎氏を岳父に持ち、宮城氏の印刷業界に対する熱い気持ちを受け継いでいる田中さん。78歳の現在も全国の元気な印刷会社を取材し執筆を続けている。印刷業界との接点から経営に対する考えまで幅広く伺った。

田中 肇 TANAKA HAJIME

PROFILE

1942年東京都生まれ。65年慶應義塾大学経済学部卒業。エッソ石油、日本ポラロイド、ハイデルベルグPMTと、一貫して営業・マーケティング・マネジメントを手掛けた後、95年4月印刷業界の業態変革を支援するコンサルタント会社「たなか経営研究所」を設立。数々の印刷会社の業態変革のための戦略策定、ビジョンづくりを手掛ける。『印刷情報』(印刷出版研究所)の「印刷元気企業の条件」で全国各地の印刷会社を取材・執筆し連載中。元全日本印刷工業組合連合会特別顧問。前神奈川県倫理法人会後継者倫理塾塾長。

岳父の影響を受けて、印刷業界の役に立つことを目指す

Q 印刷業界と接点を持つようになった経緯を教えてください。

大学を卒業してエッソ石油に就職し、営業・マーケティング部門で10年勤めました。25歳から3年間は東北地方のガソリンスタンドの市場開拓を担当し、スタンドの設置から経営者・従業員の指導まで何もかも任せられて、非常にやりがいがありました。その後、日本ポラロイドに転職し、当時発売したばかりの「ポラロイドSX-70」の日本市場のマーケティング部長として販売を担当したのですが、とにかくものすごく売れました。後にも先にもあれほど売れたカメラはなかったと思います。42 歳の時に岳父(妻の父親 )の宮城荘三郎から「うちの会社に来い」と言われて入社した会社が印刷機械貿易でした。それが印刷業界と接点を持つきっかけになります。宮城については業界人ならご存知かと思います。とにかく印刷業界に懸ける情熱はものすごいものがあり、何度も一緒にお酒を飲むことがありましたが、その都度印刷業界について熱く語るわけです。日本印刷技術協会の会長も務めていましたし、とても人望が厚く皆さんに慕われる存在でした。

Q そうだったのですか。義理のお父様が宮城荘三郎社長で、その下で仕事をされていたのですね。

はい。宮城はハイデルベルグの印刷機を日本市場に普及させた人物ですが、私は印刷機械貿易が開発した情報システムの責任者としてコンポテックスの事業を任されました。コンポテックスのユーザーを集めて「情報システム研究会」というのを設立したのですが、この会はこれからの印刷業界の変革を先取りし、変化に挑戦していくことを目的としたもので、120 社ほどの先進的な経営者が集まりました。彼らは経営に対する新しいアドバイスを欲しがっていましたし、変化に対応できるものとできないものとは何かを真剣に考えていた若い経営者たちでした。当時、1年間ほど社内講師をされたのが感動経営コンサルタントで有名な角田識之さんでした。

Q コンサルタントの道を歩むようになったのは、角田さんと出会ったことが要因なのでしょうか?

そうなのですが、印刷機械貿易がハイデルベルグPMTに社名変更し、2年ほど経って退社して、印刷業界でお役に立てることは何かと考えていた時に、退社してからも角田さんのセミナーを聴講していたので、コンサルタントになって印刷会社の経営を支援していこうと思うようになったのです。角田さんにコンサルタントの基礎を教えてほしいとお願いしたところ、「いいですよ。田中さんがお客様を見つけてくれたら、一緒にコンサルティングをしましょう」と言ってくれたので、それ以降3年間ほど、角田さんと共に全国の印刷会社を訪れ、経営計画づくりを中心にコンサルティングしました。

私にとってはコンサルティングを一から教えてくれたのが角田さんです。その仕事ぶりをつぶさに見て勉強させてもらったことが、その後のお客様のビジョンづくりの礎になっていることは確かです。

全印工連のビジョン策定に加わり、全国で周知活動を行う

Q その後、独立されて印刷業界でコンサルティングを続けていかれたわけですね。

はい、印刷会社を支援していこうと考え、自宅を事務所にして、1995年にたなか経営研究所を設立しました。しかし、コンサルタントとして活動を始めてみても、印刷業界で私のことはほとんど知られていませんでしたから、なかなか仕事が入ってこないわけです。そんな時に、全印工連のパーティの会場で、岳父から全印工連の中村守利会長を紹介してもらうと、中村会長と意気投合し、全印工連の特別顧問になることがその場で決まったのです。それで全印工連が「全印工連2000 年計画」を策定し、ビジョンづくりをすることになった時に、ビジョン委員会にも加わることになったのですが、ビジョンが策定された時には、組合員に浸透させる必要があるということで、その役目を仰せつかりました。私の仕事は全国の工組に出向いて経営計画策定セミナーを開き、組合員の皆さんに説いて回ることでした。

Q 大役を引き受けられたわけですね。

はい。ほんの5年前まで経営計画策定について詳しくない人間が、中村会長と知り合ったことで、印刷業界の人たちにビジョンを説いて回るわけですからね。これはもう自分の使命だと思って一生懸命取り組みました。当時業界ビジョンを策定していた業界団体は全印工連だけでしたから、多方面の業界から注目されたのを覚えています。セミナーや勉強会も活発に開かれ、外部の有名な講師の方々が講演をされ、最先端の考え方を組合員の皆さんに提示することができた時期でもありました。

Q 近年は後継者の育成にも尽力されていらっしゃるようですが…。

神奈川県倫理法人会の後継者倫理塾の塾長として、創業者の精神を受け継ぎ、後継者の育成を目的とした養成塾の活動を展開しています。父親の経営の仕方に反発している後継者が多いのが実態でして、父親が創業者である場合は、そんな考えはとんでもないとして息子の考えを受け入れないケースが多いわけです。問題は、事業承継はしてくれるものの気持ちよく後を継いではくれないという点です。お互いの間に深い溝があるわけです。経営ビジョンをつくるとなると、話し合いを重ねて和解する必要があるため、よほど覚悟して父と息子(あるいは娘 )の両者が取り組んでいかなければなりませんから、非常に難しいものがあります。それから後継者になる息子に対して、塾でいつも実践させていることは、父親から創業した経緯を聞いてくることです。父親の生き様を真剣に聞いたことがない後継者がほとんどですし、また父親も息子に生き様を話したりしません。“ 創業物語 ”を聞いてくることは後継者にとっては難題なのですが、腹を割って話し合った時に初めて確執が解けて和解できるものです。ですから、創業に至るまでの経緯と生き様を父親から聞くことを後継者には必ずさせるようにしています。

Q 父親が事業を続けてきたことの大変さや思いを理解させるのですね。

そうです。後継者は父親が大切に思っている会社を、自分に継がせようとしていることに気づくことで、初めて感謝の気持ちが生まれます。父親の精神や気持ちをしっかりと受け継がないまま会社を受け継いでも、経営はうまくいきません。実務に関しては今日の手法でやるのは別に構いませんが、大切なことは父親の思いや経営理念をしっかりと受け止めて、尊敬の念を持って後を継ぐことです。常々そのことを後継者になる人たちに訴えています。

そして、事業承継では経営ビジョンをつくることに主眼を置いて、取り組んでいます。父親に反発している状況で経営ビジョンをつくるとなると、父親と息子が話し合って和解するだけでなく、職場の従業員を巻き込んでミーティングする必要もあり、膨大な時間と労力を要しますから、うまくいって1年は掛かります。ですから、経営ビジョンが策定できた時点でそれは全社一丸となっている証と言えるでしょう。社員や外部の人が経営を引き継ぐ場合でも、前経営者の思いはしっかりと受け止めて、リスペクトする気持ちを持って事業承継しないといけません。前経営者の思いを成し遂げてあげようという気持ちが大切です。

印刷はデジタルにはない「感性」「差別化力」で、一層重要になってくる

Q なるほど。ところで「印刷元気企業の条件」というタイトルで、長年にわたって取材されていますが、経営者にどのようなことを聞かれていらっしゃいますか?

通常の印刷の仕事や業態変革をした経緯なども当然お聞きするのですが、他紙ではほとんど扱われないこととして、経営者の方に生き様を必ず聞いています。生まれてから今日までのこと、特に業界に入るきっかけとなったことを聞くようにしています。今はほとんどが二世経営者になりましたが、そうなりますと、先ほども述べましたが、後継者問題がテーマになってくるわけですね。いかにして経営者になろうと考えたのか。後継者であっても先代(創業者)はいかに創業されたのかを尋ねるようにしています。後継者の中には創業者のお父様、あるいはおじい様のことは知らないという方もいますね。事業承継については必ずお聞きするようにしています。また、経営者のあるべき姿や経営者として何を一番重要と考えているのか。経営者としての基本的な考え方も必ず聞くようにしています。

Q 体力維持のために、普段どのようなことをされていらっしゃるのでしょうか?

現在78歳ですが、生涯現役でやっていこうと決めています。体力維持となりますと、歩くことを心がけていることでしょうか。また、起床した早朝の1時間くらい、体操や呼吸法をルーティンで必ず行っています。水平足踏み運動を150 回程度して、その後でスクワットなどもしたりしますね。

Q それでお元気なのですね。ところで、印刷市場が縮小していることについて、どうお考えですか?

印刷会社としては顧客の情報伝達をサポートする上で他の業種と競争することになった時に、最大の強みであるのは印刷業に携わっている点だと思います。印刷業をやめて他のデジタル分野の事業を始めようとなると、ものすごい市場競争にさらされます。素晴らしい印刷物を提供できるということは、他業種にはできない最大の強みです。ですから、その強みを活かせるような変革をしていくことを考えたほうがいいですね。

デジタルが氾濫している世の中で、何で差別化していくかとなれば、印刷ができるというその技術になります。紙で高級感を与えたり、感性に訴えるデザインをしたりとか、そして何より手に取った時の手触り感や温もりは、他のデジタルメディアにはありませんからね。それと、紙には信用性もあります。本に書かれていることはデジタル以上に信用力があります。そこに書かれているメッセージが本物だという力があります。デジタルメディアは何度でも取り回しが効きますから情報が安っぽくなってしまい、いくら頑張っても紙にはかないません。紙の印刷にはデジタルメディアにできないものを持っているわけです。

Q もっと紙の印刷に自信を持って取り組んでいくべきだということですね。

はい。印刷は人類の三大発明の一つです。これからもずっと続いていきます。特に「感性」「高級感」「差別化力」という意味で、ますます重要になってくると思います。経営では絶対にブレないという中心軸の経営理念を持つことが大切です。大変な時期ですが、経営ビジョンを策定し乗り切っていただきたいです。

素晴らしい印刷物を提供できるということは、
他業種にはできない最大の強みです。

————田中 肇